純粋な存在は、永遠の法則の中で動く。それは法則を話 し、それ自体が永遠の法則である。
重荷を負った人は誰でも、自分の自我の法則の中で動く。それは自らの小さな世界であり、その人自身の自我、「私のもの」、「私に対するもの」によってつくり出した世界である。その人は、自分の小さな世界を話す。自分の自我の法則を築くのに使ったものを話す。この法則に従って、その人は自分を感じ、自分のことを考え、自分のことを話し、自分の感情、思考、言葉のとおりに行動する。つまり、その人は自らの下位の自己、自らの下位の「神による存在」に従って感じ、考え、話し、行動することになる。
人間的な自己、つまり下位の自我は、隣人に対する目を持たず、耳を持たず、感覚を持たず、自分自身に対するものだけを持つ。
この人間的な自己は、神聖な自己、聖域の中に入ることができない。そのため、隣人のことを感じ、認識し、見通し、知ることもできない。何故なら外在化した人間の中では、無私無欲がいまだ開花していないからである。
人間的な自己、下位の自我は、神聖な自己、つまり万物に光を当てる「私はある」とは相容れない。
純粋な人は純粋なもの、永遠の法則、神を話す。純粋でない人は、自らの純粋でないもの、自我の法則、下位の自己を話す。
つまり、誰もが自らのことを話す。純粋な人は絶対なる自己、つまり「私はある」という神のことを話し、純粋でない人は下位の自己、つまり個人だけに関する下位の自我しか話さない。
静かな心を保ちなさい。
内なる静寂の中で、あなたは神からの存在であることに、神の中にいることに、気づくであろう。永遠の父とあなた、すなわち神の子供は一つであるのだから。純粋な存在であるあなたは、聖域の中に生き、あなたの中に、自己の中に生きている。あなたは神の神殿であり、あなたの中に至高の聖人が宿っているのだから。
静かな心を保ちなさい。
あなたの中に静寂があり、あなたは静寂の中にいる。あなたが静かになれば、もはや人間の感情、思考、言葉、 活動、慕情を持つことはない。あなたには究極の静寂、神が浸透しているのである。
あなたの中で、浄められた感情、思考が開花する。あなたは大いなる全体のために魂を吹き込む言葉を発し、非個人的な行動をとる。
真の自己、すべてを包括する強力な「私はある」という神の存在は、あなたに伝わる。そしてあなたは美の輝き、純粋なもの、高尚で繊細、崇高なものとなる。何故なら、あなたが自分の中、永遠の自己、「神による存在」の中に住んでいるからである。そしてあなたは天がそうであるように、美、純粋、高尚、繊細、崇高、善意、無私無欲の愛となるからである。